花ひとつ咲いてねぇ道なんて

つまんなくて歩けねーぜっ

あと49日……

噛み締めつつブログに向き合ってみていますが、BOYS AND MENナゴヤドーム単独ライブ開催100日前からスタートして、50日前の節目を迎えて、一夜明け……

 

日々の更新に達成感を感じているブログ、生活習慣が変わった!と振り返っているブログ、いろいろ拝見して、自分はなにか気持ちいいほど達成した実感もないし更新もまちまちだし、割と都合よくムーブメントに乗っかってるなーーーと僅かばかりに反省をしてみたりしています。

 

このブログのターゲットと訴求ポイントはなんなんだ……

 

 

(あっ これ自滅パターン入るやつや!)

 

 

 

最近、ついつい勇翔くんばかり話題にしているせいか、じゃあ推しはどうなのよ!!って思いは自分の中でも強くあって、本当はめちゃくちゃ話したいけど、ほんと推しを簡単に語れるほど持ち合わせてるものがないんだって痛感しています。

みてみてーーって気軽におみせやさん開けるひとになりたい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にとって推しはどんな存在かなって改めて考えてみると、日々の癒しであったり、うんと甘やかしたい相手だったり、誰より幸せでいて欲しいと願う人であったり、誰より強くて、尊敬していて、勇気をくれたり、笑顔をくれたり、心の支えであって、頑張る力をくれる。

あらゆるボーダーを飛び越えて、何かと比べることや、誰かが作った物差しで計ろうとしたり、型にはめて良いだの悪いだのラベリングすることのくだらなさに気付かせてくれる。

好きなものを好きだと叫ぶし、叫ぶ機会をくれる。

誰も庇ってくれなくても、何も理解がなかったとしても、笑顔で大丈夫って言ってくれる。

 

全部、自分の中で膨らませている要素も多分にあるとわかってます。

でもそんなことを思わせてくれる、エレメントとしての推しが好き。

 

 

 

 

ここから先は推しを裸にする気がして書くのを躊躇っていたのですが…

 

「傾聴」っていう人の話を聞くノウハウみたいなものがあるんですけど、主に福祉の方面で、ユーザーと向き合う時に使われるんですが、推しってナチュラルにそれを全部やるんですよね。

あと、知ってか知らずか、行動心理学にあるような相手との心の距離の縮め方なんて完璧すぎて驚くくらい。

 

はたして業界にそういうメソッドがあるのかどうかは知りませんが、推しはとんでもなくプロだと思います……。

 

自然に?それとも独学で??無自覚でそれを出来ているんだとしたらそれもすごいし、たとえ勉強していたとしても、こうも完璧に実践できる人なんているんだろうか??

 

 

それゆえに、推しに「こうして欲しい!」「こうだったらいいのに!」なんていう欲求が生まれたことがないんですよね…。

 

 

 

 

かつて応援していた俳優さんで、私はこんなお仕事いやだ!もうこんなのやめて欲しい!こっちのお仕事がいい!こういうのやって!……なんていう、勝手に欲求とフラストレーションを抱えて、それでも応援してる!って言っていたことがありました。

 

それはきっと本人だって抱えていたものがあるはずなんですよね…。

思い描くものはあっても、どうにもならないことだってある。

それでも支えて応援して、ずっとついて行った友人達がいます。

私にはそれが出来なかった。

 

 

推しに自分の理想を押し付けたら、それはもう推していることとは違うんだろうな、と思います。

 

こうあって欲しい!こんなの嫌だ!なんて思ってしまったら、それは自分も相手も不幸にする気がする。

当時、徐々に干していくのは本当に辛かったし、応援していないわけじゃないのに、でも自分でも口をついて出る言葉が嫌で嫌で仕方なかった…。

 

 

ボイメンは現場の数が多くて、情報量が多くて、立ち止まる隙を与えてくれない忙しなさがむしろ居心地が良かったりします。

 

推しがフラットに話してくれる人で良かった。

次に何が飛び出すかわからなくて、理想を押し付けるどころか、ワクワク待つことすら楽しみにできる環境でよかった。

 

比較したい訳じゃなくて、かつて応援していた俳優さんは今でも好きです。

好きじゃないなら嫌いかっていうとそうではないように、胸の奥がチクッとするだけ。

 

 

ただ、今の私は幸せだなーって思うし、これから先も多分幸せなんだろうなーって思います。

 

全部が全部追えなくても、私は好きで彼らの活躍を目にしたいって思っただけだから!

これからも出来うる範囲で、自己満足で応援していく!

 

 

 

なんか書いたらスッキリした!!

 

おやすみなさーい!!