成長期
先の記事でTOKYO BOYMEN CITYについて触れたので、少しほかのラジオ番組のお話も絡めて、メンバーの話をしておこうかと思い立って、この記事を書いています。
最推しではないのと、私が触れられる範囲での印象に偏っているので、当時のイベントや公開収録なんかに参加されて、素の彼らに触れていた方は、違う印象をお持ちかもしれません。
少なくとも、東京の片隅のラジオリスナーにはそんな印象を与えていた、ということだけご理解いただければ…!
相変わらず前置きが長い!!
2016年末だったか、2017年に入っていたか、はたまた武道館後だったかすら記憶が少し曖昧なのですが、毎週月曜日にCBCラジオで2時間半生放送されている、ボイメンの番組「栄第七学園男組」
当時は余程のことがない限り、メインMCは水野が務め、他2人がスタジオ入り、見学組(通称ザコ、ザコ共和国)がスタジオ外に控え、コーナー内容によっては出演を許される……といった体制の番組でした。
ある日のオンエアで、メンバーに水野の名前があるにも関わらず、回しは吉原、と任された回がありました。
当然、戸惑い、水野に助けを求めながら、そして、水野も助け舟を出しながら、見事2時間半を乗り切りました。
困惑して不慣れなまぁちゃんは、それはそれでかわいかったのですが、急に始まったMC育成に、聴いている側も戸惑いました。
これからは、MCを回せる人間を増やしていかないといけない。
そういった主旨の言葉をリーダーが口にしていた記憶があります。
時期的に、おそらくハイローの撮影が既に決まっていて、そして、その後に47都道府県ツアーも決まり、名古屋を不在にするメンバーが増えることを懸念して、MC要員を増やすための試みだったのだと思います。
その白羽の矢が立ったのが吉原。
今でこそ、喋りとツッコミの切れ味にはたまらない味のある吉原くんですが、当時はまだそれほど前に出てくるわけではなく、ましてや仕切りをやるなんてことは、およそ考えていなかったのではないかと思います。
必要なコールのタイミングや、時計に目を配ったり、時間配分を考えたり、放送に必要なことを覚えていくのは、さぞ大変だったことと思います。
喋りに関しては、もともと面白かったものを表に出せるようになっていったというか、オンエアでも平気で年長組に向かって「クソが!」と言い放てる度胸が座っていったのも印象的でした。笑
背景には、47都道府県ツアーがあったことも大きかったように思います。
特に、関東を回したメンバー構成…
小林👼
田村🐟
辻本🔥
吉原🐹
勇翔🐉
…………おわかりでしょうか。
ポンコツ3と勇翔(当時、今以上に喋りません)を相手に、吉原くんが回していたのです!!!
私が参加したのは神奈川と東京だけでしたが、その間だけでも、苦労の程は見て取れました。
MCで勝手にどんどん話題を広げて盛り上がって暴走を始めるポンコツ3……。
そして、仕切りに関しては戦力外の勇翔……(当時)
初めはキレて場を制していた吉原も、終いには「ほっとくとどうなるんかなって」と言って、放置芸を始め、「気をつけろ、あいつ、まさるより怖いぞ?!」と、ポンコツたちが吉原の目を気にして自制するまでに至ります。笑
ツアー日程表でメンバーを見た時に、誰が仕切れるのか不安でしかなかった関東は、吉原によって治められたのでした…。
その後、これもいつ頃ハッとなったのか記憶にないのですが、第七学園の他メンバーが回しの際、話が脱線し過ぎて収集がつかない状態だった時に、さりげなく「(CMまで)あと〇秒ね?」的なツッコミを入れていて、タイムキープまで出来るようになってる!!!!と、感動を覚えたものでした。
私が記憶している吉原くんは、最初からあんなに喋りや回しが上手かったわけではないのです。
そこから今の姿を思うと、成長っぷりに目頭が熱くなるのを禁じ得ません。
もしかしたら、私の知らないところで立派に仕切りをやっていて、ただ単に第七学園という場で初めて果たしただけなのかもしれませんが…。
少なくとも、私の知る限りでは、ラジオとツアーでの活躍が目覚しく感じられました。
勇翔くんについても、あえて「(当時)」という書き方をしていますが、勇翔くんもまた、ラジオでの露出や47都道府県ツアーで、大きく成長を遂げたと思っています。
いや、もしかしたらこれも、私のようなファンの目が届いていなかっただけなのかも知れませんが…。
いかんせんローカル番組への時差があるだけに、テレビでの活躍については言及出来ないのが歯痒い…!
ラジオでは水野が勇翔くんをとにかく甘やかして甘やかすので、コーナーの変遷と共に、勇翔くんの出番が増えていった影響も大きいと思います。
進撃の巨人をもじった「🔔撃の巨🔔」(🔔はベルをチンと鳴らす)というコーナーは、下ネタスレスレを攻めるスタンスと、それを勇翔くんが楽しそうにやることで、リーダーにとにかくウケて気に入られたコーナーで、割と高い頻度でオンエアされていた気がします。
あとはボイ喜利部(大喜利のコーナー)での活躍。
一時は「師匠」と呼ばれるほどにヒットを飛ばしまくり、ほぼコーナーレギュラーとして、オンエア時にはスタジオ入りを果たしていました。
面白いのに打順(ネタ披露の順番を野球に準えてこう呼ぶ)を見誤る残念さも相まって、とにかく(リーダーからの)ウケがいい。
後につーじーに、「まさるは面白がっとるけど、実際そうでもないからな?」的な辛辣な言葉を吐かれるほど、水野には気に入られていたりしましたが、当時(主に2017)どんどん面白くなっていったのも事実です。
今年に入ってザコ共和国国王に就任してしまいましたが、昨今の多忙さもあってか、最近は出演も減ってしまい、残念な限りです。
さらに、今年は特にUstream放送を回すことが多く、普段聞けない勇翔くんの身の回りの話が聞けて、オアシスのような時間でした。
これは、ある意味、今の「一日勇翔」企画に通じるものを感じます。
そんなラジオでの活躍もあり、ライブで見た時とのギャップは広がっていったように思います。
47都道府県ツアーは、主に変則メンバー5人で各地を回るツアーでした。
小さめのライブハウスで、10人ではなく5人という人数は、意外と全員目で追えてしまう人数だったりします。
ちょうど推しのいるはずの方向に、重なるように勇翔くんが立っていた時などは、目をそらす訳にもいかないし、ならいっそ勇翔くんを観よう!と思って、勇翔くんを見ていた時間もありました。
そんな中で、例えば、ジャンプするタイミングで学ランの裾を叩いて、綺麗に広がって見えるようにこだわっている動きだとか、みんながMCで話している中、くまなく会場に目を配っていたりだとか、今まで知らなかった魅力をたくさん知ることができました。
だから、単純に私が知らなかったことも多いのですが、それでも、ツアー終盤の九州で(確か宮崎あたり?)回しを務めたと聞いた時には、不参加ながらもその場で拍手を贈りました。
その後のドラマ出演、そして映画出演ラッシュが始まるなど、目に見えて活躍の場が大きく広がったのが勇翔くんでした。
……ってここまで書くと、平松先生だって私が知った時はまだカメラ始めてなかったし、それが今や写真展に写真集ですよ??
よしぴ同様、MC教育を突然強要されて千尋の崖から突き落とされたつっちーも、今や月イチでレギュラー番組を持っていたり、映画出演して映画祭に呼ばれて、勇翔くんとラスベガスに飛んだり????
ボイメン成長しかないじゃん
いや、ほんと挙げたらキリがなくなるので、よしぴと勇翔を主に書かせていただきましたけど、ボイメン成長しかしてない!!!すごい!!!!!
そりゃ2018年進化理論とか歌っちゃうよ!!そりゃそうだよ!!!……と、謎の納得をしてひっくり返っています。
突然キレイにスパっと今の姿になったわけではないので、そりゃあいろんなことがありましたけども、振り返ってみればすごいなあってしみじみ成長を感じていたり。
ほんと、ボイメンは全ての現場を網羅することが難しいので、いろいろ抜け落ちてる私の知らない大事な転機があったと思います。
そういう昔語りを読んでみたいなーって、今さっきダウンロードしたばかりのベストを聴きながらしみじみ思っています。
結局夜更かししちゃったな…… 笑
ベスト流しながら、今日は寝ます!
おやすみなさい!